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津地方裁判所 昭和48年(わ)26号 判決

被告人 宮田正弘

昭一〇・一二・一六生 運転士

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一当裁判所の認定した事実

一  被告人の略歴

被告人は、本籍地において出生し、昭和二九年三月奈良県立畝傍高校普通科を卒業後直ちに近畿日本鉄道株式会社(以下近鉄という。)に入社し、同年五月ころから国分駅改札係として勤務したのち、昭和三三年五月ころ車掌試験に合格して同年七月ころから車掌として近鉄大阪線に乗務し、昭和三六年一一月ころ運転士試験に合格し、昭和三七年七月ころまでの間近鉄高安教習所において電車運転士に必要な知識、技能の教習を受け、同月動力車運転者操縦免許を取得するに至り、その後は、近鉄上本町営業局運輸部高安列車区所属運転士として電車の運転業務に従事し、昭和四一年ころから同列車区所属の特別急行電車の運転業務にも従事するようになつた。

二  本件事故現場付近の状況

(一)  近鉄大阪線の青山トンネル及び総谷トンネル付近の状況

近鉄大阪線西青山駅は大阪上本町駅起点八五キロ三〇五メートル一九の地点にあり、同駅からほぼ東方の伊勢中川駅方面へ向けて、別紙第一図面記載のとおり青山トンネル、東青山駅、滝谷トンネル、溝口トンネル、二川トンネル、垣内西信号所、垣内東信号所、総谷トンネルがあり、右区間は、三重県一志郡白山町内の布引山系青山高原に位置するものであつて(ちなみに東青山駅付近で標高約二七〇メートル)、青山トンネルから総谷トンネルの方向に向けてほぼ千分の三三・三の下り急勾配のところであるうえ、西青山駅及び東青山駅において上り(上本町駅方面)と下り(伊勢中川駅方面)の乗降ホームが分かれているため複線となつているのと、垣内西信号所と垣内東信号所との間一キロ二〇〇メートルの区間が複線となつているほかは単線であつて、右単線区間は、西青山駅から総谷トンネルを経て同大阪線榊原温泉口駅西方にある上本町駅起点九七キロ四二六メートルの地点の榊原温泉口第五号踏切道付近に至つていた。

(二)  東青山駅構内における自動列車停止装置(ATS。以下ATSという。)の異常作動

東青山駅構内には、別紙第二図面記載のとおり、上り本線に上り場内信号機(4L)、上り出発信号機(2L)と組合わされた4LATS、2LATSの二組のATSが、下り本線に下り場内信号機(2RA)、下り出発信号機(4R)と組合わされた2RATS、4RATSの二組のATSがそれぞれ設置されており、4LATS、2LATS、2RATSは、いずれも信号用ATSの地上子三個と速度制限用ATSの地上子一個とから成り、4RATSは信号用ATSの地上子三個から成つていた。

しかるに昭和四六年一〇月二五日東青山駅構内の継電器室の外線端子盤の端子がゆるんでいたことにより、右4LATS、2LATS、2RATSの速度制限用ATSの地上子の制御継電器に電流が流れず、右各速度制限用ATSが異常作動して停止指令を出した(右各速度制限用ATSは、いずれも、故障により制御継電器に電流が流れなかつた場合には停止指令を出すように設定されている。)ため、同日午後二時四七分ころから同日午後三時四五分ころまでの間に、大西秋夫運転の名古屋駅午後一時三〇分発難波駅行特別急行第〇〇六三N列車、梅森昭雄運転の賢島駅午後一時七分発難波駅行特別急行第一三〇〇N列車、植村哲雄運転の宇治山田駅午後一時四五分発名張駅行普通第一三九〇列車、奥野章恩運転の名張駅午後二時四二分発宇治山田駅行普通第一四九一列車、松中邦一運転の宇治山田駅午後二時三六分発上本町駅行臨時急行第七四二〇列車等が、東青山駅構内にさしかかつた際異常停車したが、右各列車は、いずれも、定められた手順に従いATS作動による非常制動を緩解して、何事もなく運転を再開した。

右各列車の異常停車については、当日、東青山駅構内で保線工事の立会いをしていた中川通信区佐田信号班所属山田正純、東青山駅の信号係吉野隆らもこれを目撃し、同人らは、ATS地上子の故障を疑つて、中川通信区や、同通信区佐田信号班へ連絡する一方、点検調査等をしたが、連絡の不徹底等のこともあり直ちには原因究明に至らず、各列車への警告も十分なされなかつた。

三  本件事故発生に至るまでの経過

被告人は、昭和四六年一〇月二五日午後二時三〇分大阪上本町駅発名古屋駅行(下り)特別急行四両編成 (先頭から四号車、三号車、二号車、一号車の順序)第一一四列車に運転士として乗務し、同駅を定刻に出発して下り大阪線を進行し、途中、停車駅の鶴橋および大和八木の各駅に停車して、両駅をいずれも定刻に発車し、西青山駅を通過予定時刻より約七分遅れて時速約六〇キロメートルで通過して青山トンネルに入り、若干加速して時速約八五キロメートルにした後、電気制動をかけて時速約七〇キロメートルで進行中、同日午後三時四五分ころ、東青山駅下り場内信号機(2RA)西方約二八九メートルの地点にある前記2RATSの速度制限用ATSW1地上子の異常作動により、青山トンネル東出口から約二〇六メートルの地点で列車が急停車したため、直ちに右ATSによる非常制動を緩解して運転を再開すべく、定められた手順に従い、制動弁ハンドルを自動非常位置にし、復帰スイツチを二、三秒間引いた後、制動弁ハンドルを弛め位置にする措置をとつたが、右非常制動が緩解せず、なおも制御スイツチを切るなどして右措置をくりかえしたが同様の状態であつたので、車掌上出敏雄を四号車(先頭車)運転席に呼寄せ同人に右制動不緩解の旨を告げて乗客へことわりの車内放送をさせ、右制動不緩解の原因を発見するため車外点検をすべく、制動弁ハンドルを直通非常位置において車外に出、三号車備付けのハンドスコツチ(手歯止)二個をとり、三号車後部台車の一軸と二軸の右側(伊勢中川駅方向に対して右側の意味。以下同様とする。)車輪の前に各一個宛装着して、四号車から一号車まで車両右側を歩いて制動不緩解の原因と考えられるエアー洩れを調査、点検したが、その原因を発見できないまま四号車方向に戻る途中、三号車の中央部付近で第一一四列車の異常停車を知つて現場に来合せた東青山駅助役二見武夫に出会い、同人に制動が緩解しないことを告げたところ、同人から制動を抜けばよい旨を言われたが、そのまま同人とともに四号車の運転席に乗り込み、再度制動弁ハンドルを弛め位置にする等の操作をし、配電盤等を点検するも、制動は緩解せず、その原因も究明できなかつた。

これより前、奥村祐之の運転する同日午後二時一〇分賢島駅発難波、京都駅行(上り)特別急行七両編成第一四〇〇列車が、他の各列車の遅延もあつて通過予定時刻より約二分遅れて同日午後三時四一分ころ榊原温泉口駅に到着したが、同列車は、本来、同駅には停車することなく前記被告人の運転する第一一四列車と前記垣内西信号所と垣内東信号所との間の複線区間で対向する手筈となつていたが、前記のとおり第一一四列車が青山トンネル内で急停車したままだつたので、対向時間調整のため、同列車の発車を待つてそのまま右榊原温泉口駅に停車待機していた。

四  第一一四列車の制動機構と右ATSによる制動の不緩解の原因及び原因不明の場合に電車運転士のとるべき措置

第一一四列車には、電気制動と空気制動の二系統の制動機構がある。

(一)  電気制動は、MC車(電動機(モーター)のついている車両。第一一四列車では一号車と三号車がこれに該当する。)において、しかも制動管に三・五キログラムパースケアーセンチメートル以上の圧力空気が込められているときに作用するもので、回転している電動機を発電機に切換えることにより、運動のエネルギーを電気エネルギーに変え、さらにそれを熱エネルギーに変えて抵抗器から大気に発散させて制動力を得るのであり、これには、制動弁ハンドルを直通制動位置又は直通非常位置に置いた時その位置に応じた制動力の作用する停止用(時速三〇キロメートル位まで停止用電気制動が作用し、それ以後は締切電磁弁の作用により後記直通制動に切換わる。)と、制動弁ハンドルを弛め位置に置き、主幹制御器を「進メ」又は「保チ」の位置にした場合にかかる抑速用がある。

(二)  空気制動は、制動筒(ブレーキシリンダー)に圧力空気を送り込むことにより制動力を得るもので、これに直通制動と自動制動の二種類があつて、直通制動は、制動弁ハンドルを直通制動位置又は直通非常位置に置くことにより、その位置に応じて直通管に一定圧の圧力空気が入り、供給空気溜からの圧力空気がこれと同圧に調整されたうえ制動筒に込められて制動力が生じるものであり、自動制動は、制動弁ハンドルを自動制動位置又は自動非常位置に置くことにより、その位置に応じて制動管に込められている圧力空気が排出され、供給空気溜からこれに応じて調整された圧力空気が制動筒に込められて制動力が生じるものである。

ATSが作動した場合には、制動管にある非常電磁吐出弁が開いて制動管の圧力空気が排出され制動がかかるものであり、ATSによる制動は、自動制動の系統に属する。従つて、ATSが作動し制動がかかつた後この制動を弛めるには、ATS復帰スイツチをひいて非常電磁吐出弁を閉じたうえ、制動弁ハンドルを弛め、位置に置いて制動筒の圧力空気を抜くとともに制動管に規定の五・〇キログラムパースケアーセンチメートルの圧力空気を送りこんでやれば足りる。そして、通常、ATSが作動した後、所定の措置をとつても全車両の制動が緩解しない原因としては、非常電磁吐出弁からの空気洩れと制動管からの空気洩れ以外には考えられず、従つて運転士としては、車外において床下の右機器からの空気洩れ箇所を発見するための点検を実施することとなるが、被告人は、前記のとおり空気洩れを点検したけれども制動不緩解の原因を明らかにしえなかつたもので若し点検の結果制動不緩解の原因がわかれば、その部分に応急の措置をして運転の再開ということになるが、故障箇所を修理しえない場合や、そもそも制動不緩解の原因不明の場合には、運転士としては運転再開を断念して救援列車を手配すべきことになつており、更に救援列車によつて当該故障列車を推進運転するに際しては、供給空気溜から制動筒に至る供給空気溜管についているJ型ろか器排水コツクを開けて制動筒の圧力空気を抜き(制動弁ハンドルを弛め位置に置いて制動筒の圧力空気が抜ける正常の場合には、右のような制動弁ハンドルの操作で十分で、右排水コツクの操作は不用である。)、供給締切コツクを閉じて制動筒への圧力空気の流通を閉鎖し、故障列車を無制動(ノーブレーキ)の状態にするということになつている。

五  制動を緩解するための作業を行うに際して被告人が守るべき業務上の注意義務及び同被告人の過失並びに事故の発生(罪となるべき事実)

前掲三のとおりの経過によつて被告人運転の第一一四列車が急停車した青山トンネル内は、前記のとおり千分の三三・三という大阪線で最も急勾配の箇所であるうえ、同所付近は単線区間であり、しかも上り第一四〇〇列車と垣内西信号所及び垣内東信号所間で対向する予定になつていて、一旦列車が転動するときは、右第一四〇〇列車等の上り電車と衝突、脱線、転覆等の事故を惹起して乗客等に多大の災害を及ぼす虞れがあつたのであるから、およそ列車運転の安全を確保すべき職責を有する運転士たる被告人においてさらに制動を緩解するための作業を続行するに際しては、前記のとおり、制動管の圧力空気が規定圧になつていないことが予測され電気制動が作用しない虞れのあつたことを考え合わせれば、ハンドスコツチを十分且つ確実に装着したうえ、応援にかけつけた前記二見武夫とも緊密な連絡をとり、いやしくも全車両について完全に空気制動が作用しえないような状態に至らしめないようにし、もつて前記危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前記のとおり三号車後部台車の一軸と二軸の右側車輪の前にハンドスコツチ各一個宛を装着したうえ、車外で空気洩れを点検をして運転席に戻つた後、再度車外に出て、その必要がないのに、四号車から一号車まで順次いつせいに各車両の供給締切コツクを閉め、J型ろか器排水コツクを開く操作をし、続いてJ型ろか器排水コツクは元に戻したが、供給締切コツクを元に戻さず閉じたまま放置したうえ、運転席の制動筒ゲージで制動緩解の有無を確認しようと四号車方向に引返す途中、前記二見武夫に出逢つたにも拘らず、専ら運転の再開を急ぐ余り同人に対し何等右コツク操作の内容を連絡することなく、慌てて運転席に戻つて漫然制動弁ハンドルを弛め位置にした過失及び右過失と、被告人からの連絡を受けなかつたため同人の前記コツク操作の内容を知りえないまま、右ハンドルスコツチを取り外し忘れたものと誤解して、予め同人に連絡をとることなく無断で前記ハンドルスコツチ二個を取り外した二見武夫の過失とが競合し、同日午後三時五四分ころ第一一四列車を前記停車地点から転動逸走させるに至らしめ、急遽空気制動及び電気制動による制動操作をするもその効果なく、下り急勾配のため、列車は、徐々に加速して暴走を続け、同所から約四キロ三〇〇メートルの地点に設けられている東垣内二一(イ)分岐器が同列車を安全側線に誘導するように操作されていたものの、時速約一四四キロメートルの高速のため、これを乗り越え、やがて同分岐器東約一二メートルの地点で右分岐器通過時の速度過大による遠心力などのため遂に脱線し、さらに同所から約一五〇メートル暴走して、同日午後三時五八分ころ、三重県一志郡白山町大字上ノ村字滝地内の前記総谷トンネルに突入し、同トンネル西口から約二八メートルの同トンネル内単線区間において、おりから右第一一四列車が東青山駅を通過したとの合図により榊原温泉口駅を発車して進行してきた前記第一四〇〇列車に激突して同列車を転覆させ、もつて列車往来の危険を生ぜしめるとともに、その際の衝撃等に因り、両列車の乗客、乗務員のうち、別表第一「被害者一覧表(死亡者)」記載のとおり松下博ほか二四名を死亡させ、別表第二「被害者一覧表(負傷者)」記載のとおり西信敦央ほか三四五名に対し同表「傷害と部位」欄記載の各傷害を負わせたものである。

第二証拠の標目(略)

第三法令の適用

被告人の判示所為中、業務上過失致死傷の点は被害者ごとに刑法第二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法(以下単に改正前の罰金等臨時措置法という。)第三条第一項第一号(刑法第六条、第一〇条による。)に、業務上過失往来危険の点は刑法第一二九条第二項、第一項、改正前の罰金等臨時措置法第三条第一項第一号(刑法第六条、第一〇条による。)に、それぞれ該当し、右は一個の行為で数個の罪名にふれる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条により一罪として犯情の最も重いと認める判示松下博に対する業務上過失致死罪の刑に従い、その所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮一〇月に処し、諸般の情状により刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、なお訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

第四弁護人の主張に対する判断

一  弁護人は、被告人が、全車両いつせいに供給締切コツクを閉じJ型ろか器を開けた後閉じた操作について、右は、近鉄の運転科教本に従つてなされたいわゆるエア抜き点検と称される措置で無用のものではなく、仮に全車両いつせいに右措置をとることが不適当であつたとしても、右の点を禁止する旨明示的に教育指導されていなかつた上、本件において、列車の転動防止のためにはハンドスコツチ二個で十分であつて、右ハンドスコツチの機能を補助的、原始的なものということはできず、結局、被告人のした前記コツク操作を過失とは評価しえない、と主張するので、この点について以下判断する。なお、以下においては、証拠の表示につき必要に応じて前掲証拠の標目記載の略称を用いる。

1  運転科教本の記載について

前掲押収してある運転科教本四の一(鉄道車両検査修繕)には、弁護人の指摘するように、「空気関係故障とその応急処置」として非常制動が弛まない場合の処置につき次のような記載がある。即ち、「非常制動が弛まない場合は、まずATS復帰スイツチを操作し、それでも弛まないときは、次の方法により制動筒の圧力空気を放出すること。

a AMA型

二道コツクを「締切」とし、補助空気溜の圧力空気を放出する。

b AMU型

二道コツクのハンドルを二本とも引き出す。

c その他の車両

供給空気溜の締切コツク(または作用締切)を「締切」とし、ちりこしコツク(または作用排出)を「開」とする。

なお、デツドマン装置およびATS動作等により非常電磁吐出弁を作用させた場合で、復帰せず非常制動が弛まないときは、非常電磁吐出弁のコツクを「締切」とすればよい。」

そして、前掲正木周四郎の警調によると、本件第一一四列車に使用されていた車両は、四両ともHSCID型と呼ばれるものであることが認められるから、右運転科教本の記載の「その他の車両」に該当するので、本件非常制動不緩解の場合の応急処置も右の「C、その他の車両」の項に記載の例によるべきであるかの如くである。

しかしながら、前掲太田弘ほか五名作成の鑑定書と題する書面(以下太田鑑定という。)によれば、仮に、右運転科教本記載の処置をとつて、制動筒の圧力空気を抜き、制動筒への圧力空気の流入を阻止することによつて、非常制動を弛めることができたとしても、運転を再開すべくコツクを元に戻して供給締切コツクを「開」としJ型ちりこし器(ろか器)排水コツクを「閉」とすれば、再び制動のかかることは明らかであるから(太田鑑定No42の6・4・1・(1))、右運転科教本の記載を自力運転するための応急処置を規定したものと解することはできない。

もつともこの点につき、川辻勉は、昭和四六年一〇月二九日付の警調において、定められた点検をするも制動不緩解の原因が不明の場合には、最後に、制動弁ハンドルを弛め位置に置き、一車両毎に、供給締切コツクを「閉」としJ型ちりこし器(ろか器)排水コツクを「開」として制動を弛めた後、右両コツクを元に戻して制動が弛んだままなら故障は治つたことになり、右両コツクを元に戻しても制動が弛まない車両があれば当該車両が故障していることになるから、その車両の制動を抜いて他の車両によつて自力運転をすればよく、このような制動が弛まない場合の措置に関する訓練を年四回程実施していた旨供述するところ、右にあるような操作によつて故障箇所を発見しうるというメカニズムそのものは必ずしも明らかでないが、何らかの故障があつて右を通常の点検によつて発見しえない場合、故障箇所そのものは発見しえないとしても、故障車両を簡便に発見しうる方法の一と解せられないでもないから、前記運転科教本の記載とあわせ考えると、近鉄において右のような指導、教育(前記のとおり年四回程訓練していたとされる。)をしていたものと認められないでもない。しかしながら右川辻勉は、昭和四六年一一月二五日付の警調で右供述を変え、前記供述は、同人の個人的見解であり、近鉄においては、全車両ブレーキが弛まない場合の措置として右のような指導はしておらず、指導しているのは、一両か二両の車両だけブレーキが弛まない場合に、当該車両のみにつき前記のようなコツク操作をして故障を確認したうえ当該車両の制動を殺して他の車両によつて運転していくという方法である旨述べており、年四回訓練したという点についても特にこれに言及する供述をしていないことに照らすと、前記昭和四六年一〇月二九日付の警調の供述は、同年一一月二五日付の警調によつて訂正されたものとみるほかなく(当公判廷において、同人は特に右の点に関する証言をしていない。)、前掲証人室田菊三郎、同篭嶋繁詞、同中尾義一の各証言、前掲澤野憲太郎の警調、同石橋暉之の検調(48・6・20)等を考えあわせると、近鉄において前記のような指導、教育をしていたものと認めることはできない(弁護人の指摘する中尾義一の昭和四六年一一月一八日付及び翌一九日の各警調は当公判廷に提出されていない証拠であるので検討の余地がない。)

そうすると、右運転科教本の記載は、前記認定事実にあるごとくせいぜい故障車両が判明した後、推進運転をするに際して、当該故障車両の制動を抜くための措置を規定したものと解するのほかはなく、特に右同教本の記載の末尾に「なお(省略)ATS動作等により非常電磁吐出弁を作用させた場合で復帰せず非常制動が弛まないときは、非常電磁吐出弁のコツクを「締切」とすればよい」とあることからも右のように推測しうるところである。

従つて、被告人のした本件コツク操作は、近鉄の指導、教育にもない無用のものといわざるを得ず(仮に、前記川辻勉の警調(46・10・29)のような見解に従うとしても、一両ごとにコツク操作をして制動が弛んだのを確認した後右コツクを元に戻さなければ意味がないのに、被告人は、全車両いつせいにコツク操作をしてしかも元に戻す措置をとつていない。)、前記認定のとおり危険なものというべきである。

従つて、この点についての弁護人の主張は採用しえない。

2  ハンドスコツチの転動防止効果について

前記太田鑑定によると、本件において、被告人が装着した二個のハンドスコツチによつて転動防止に十分の効果があると考えられるかの如くであるが(同鑑定No24ないしNo26の6・1・1)、これを仔細に検討すると果してそのように言いうるか否か疑問である。

即ち同鑑定は、まず、第一に、本件列車の最前頭一軸の両側車輪にハンドスコツチを作用させたときの停止効果を検討し、その方法として、車輪にハンドスコツチを作用させたときの想定される作用力を設定し、車両が転動しないで静止している状態とは関係する作用力の合計及びモーメントの合計がいずれもバランスしてゼロの状態であるという考えを基礎として運動方程式を設定したうえ、ハンドスコツチの停止効果に影響を及ぼす安定要因として、(イ)車両がハンドスコツチをかんだまま滑りはじめるか否かの点に関しては摩擦係数を、(ロ)車輪がレールから浮き上るか否かの点に関しては最前軸から直接レールに伝わる力を、(ハ)ハンドスコツチの転倒の有無に関しては最前軸車輪、レール間の接点とハンドスコツチ底辺最前端との距離を、それぞれ必要十分なものとして考え、一定の計算式(同鑑定付属資料3参照)により、前記のハンドスコツチの作用によつて安定的に停止効果のある領域(条件)を算出し、第二に、ハンドスコツチを最前頭一軸と二軸の片側車輪に各一個宛作用させた場合の停止効果を検討し、その方法として、列車の全重量から列車を前方に動かそうとする力を5188.1kgより大きくないと算出したうえ、四号車前頭一軸と二軸にかかる荷重を四号車の重量から17.5tと算出し、5188.1=μe×17.5×1000(単位はkg)なる数式μeからを〇・二九六と算定し、右〇・二九六なる等価摩擦係数を持てば車両は移動しないところ、鉄と鉄との間の固体摩擦係数は〇・三五~〇・四〇で、木材と金属との間の固体摩擦係数は〇・六であつて、いずれも前記等価摩擦係数よりも低いから安定であるとしている。

ところで、前記認定事実のとおり、被告人は三号車(先頭から二両目の車両である。)の後部台車一軸と二軸の右側車輪に各一個宛ハンドスコツチを作用させたのであるから太田鑑定に示されたようにハンドスコツチを先頭車両(四号車)に作用させた場合の結論をそのまま本件に適用することは疑問であるうえ、前記のとおり、ハンドスコツチを最前頭一軸両側車輪に作用させるという方法による実験は、妥当なものとして首肯しうるが、最前頭一軸と二軸の片側車輪に作用させた場合の方法論は、果して妥当なものといいうるものか否か疑問がないではなく、特にこの場合車両の移動の点のみの検討に終つて、車輪の浮き上がり、或いはハンドスコツチの転倒の点の検討をしていないことは、その結論の妥当性に疑義をもたらすものであり、結局のところ、右太田鑑定の結論を根拠として、直ちに、本件被告人が装着した二個のハンドスコツチによつて転動防止に十分の効果があるものといいうるか否かは問題である。

そして、前掲荻巣史恭の警調(47・1・31)による同人の計算及び実験の結果、同司法警察員作成の実見(46・11・20)による実験の結果に鑑みれば、被告人のした本件におこるハンドスコツチ二個の転動防止効果を否定することはできないけれども、逆に一〇〇パーセントの確実性をもつて転動防止が十分可能であるとも断定しえないのであつて、右荻巣の警調によれば、二個のハンドスコツチで四・二両までの車両につき転動防止効果があるというのであるから、四両の車両の場合の安全率は一・〇五で安全性の許容範囲は小さく、右実見によれば、本件と同様の条件のもとにおいて、四号車の後部台車の一軸、二軸の右側車輪の前にハンドスコツチを各一個宛作用させたときには、ハンドスコツチは二個とも約二センチメートル滑り、いずれもひび割れが入り、同じく三号車に同様に作用させたときには、ハンドスコツチは二個とも約五ミリメートル滑り、後軸の車輪が約二センチメートル浮き上つたというのであり、前記太田鑑定の検討において指摘した車輪の浮き上り或いはハンドスコツチの転倒等の事由のほか右ハンドスコツチのひび割れ、滑り又はその他の安全性に及ぼす要因等の如何によつては、安全性の許容範囲を超える事態の生ずることも予測しえないことではない(なお、前掲室田菊三郎のハンドスコツチのみによつて転動防止ができる旨の証言は、右結論に影響を及ぼさない。)。

しかるところ、運転士が依拠すべきものとされる前掲押収してある運転取扱心得の八六条には、留置車両の転動防止として次のような規定がある。

「車両を留置する場合は、次により転動防止の手配をしなこればならない。

(1) 制動機を緊締するほか必要に応じてハンドスコツチを使用するか、ハンドブレーキを緊締すること。

(2) 以下  省略」

又同じく前掲押収してある執務要領には、IV事故の処置として転動防止につき次のような規定がある。

「事故のため途中線路に停止したときは、制動機を緊締するほか必要に応じてハンドブレーキまたはハンドスコツチを使用する。なお、乗務位置をはなれるときは、必ず制動弁ハンドルを自動非常位置にしておくこと。」

右各規定から、直ちにハンドスコツチの使用が二次的、補助的なものといいうるかはともかくとして、前述したところより右各規定を考慮するとき、本件における状況のもとにおいては、必ずしも被告人のしたようなハンドスコツチの使用だけで転動防止のため十分であるといこうとはできず、他の制動、とりわけ空気制動の有効性を確保しておく必要があるものというべきである。

従つて、この点についての弁護人の主張も採用しえない。

二  ついで弁護人は、駅助役が事務系の職にあるものであり、列車の運転そのものに関与するものではなく、又本件列車の異常停車した位置は駅構内ではないから、検察官主張の昭和二五年七月二日運輸省令第五五号「運転の安全の確保に関する省令」及びこれに基いて近鉄が定めた一般準則の、「運転に関係ある職務に従事する者は、作業にあたり関係者との連絡を緊密にして打合せを正確にし、かつ、相互に協力しなければならない」という規定の「関係者」の中に、本件における二見助役は含まれず、従つて、被告人には、同人と連絡、協力する義務はなく、右二見助役と緊密な連絡をとらなかつたとしてもその点において被告人に過失はないと主張するので、以下この点について判断する。

前掲桑原守也、同芝原為利、同日下部文夫、同古谷義治(46・11・8)、同西本利紹の各警調によれば、近鉄の会社組織は、本社部門と現業部門に二大別され、現業部門に鉄道総局があつて、同総局内の営業局が鉄道運営の直接担当部門で、これには管轄地域別に上本町、天王寺、名古屋の三営業局があり(なお、本件で問題となつている青山トンネル及び総谷トンネル付近は、名古屋営業局の管轄となつている)、営業局において輸送関係を担当する責任者は運輸部長であり、運輸部長の下に駅長(当該営業局の管轄する各線の地域ごとに、複数の駅を管轄する駅があり、この長が駅長である。)がいて、運輸部長の命を受け、駅所管の業務を処理し、所属員を指導監督するとともに、必要に応じてその勤務成績、その他人事に関する事項を判定し、これを運輸部長に報告すべきものとされており、駅助役は、駅長の指揮、命令のもとに、右駅長の所管業務について同人を補佐、又は代理するものとされていること、駅所管の業務とは構内掛の行う列車の組成、入換、信号機、転てつ器及び連動装置の取扱並びに運転指令電話の受送信等の業務、駅務掛の行う庶務、乗車券の発売、検査、収集、旅客の案内、整理ならびに荷物及び手小荷物の取扱等の業務、鉄道保安掛の行う踏切道の警戒、駅手の行う構内掛または駅務掛の業務の補助等の業務を意味するものであることの各事実が認められ、右事実によれば、駅助役は、駅長の不在等のときには、これに代つて、列車の運行に密接に関係する駅所管の業務を行うものと解される。

そして前掲運転取扱心得によれば、第五編事故として、第二九一条第一項に「係員は、事故が発生したときはその状況を判断し、本編各条の定めるところによつて機宜の処置をとり、事故の拡大防止に努めなければならない。」と規定されており、右係員とは、同運転取扱心得の第五条で、運転に関係ある職務に従事する係員を指すものとされているところ、およそ運転に関する職務に従事する者としては、その業務が高度の危険性を内臓する高速度交通機関の運行に関連するもので、一度その措置を誤る時は、一瞬にして多数の生命、財産を損う惨事を惹起する虞れがあるのであるから、右業務の遂行に当つては、先ず運転の安全を確保すると共に、事故の発生を未然に防止するため万全の注意を払うべき職責があることは勿論、安全確保のためには職責を越えて相互に一致協力して危険を回避する手段をとらなければならないのであつて、駅助役ももとより前記運転に関係ある職務に従事する係員として、右の協力義務があることは当然である。

しかして、前記認定事実のとおり、東青山駅構内及び同構内に近接する青山トンネル、滝谷トンネル内にあるATSが異常作動して数本の列車が異常停車するという状況下において、被告人運転の第一一四列車が同様に青山トンネル内で異常停車したまま制動が緩解しないという事態に至つた際、二見助役が同列車の事後処置について前記認定事実のとおりの関与をした以上、前説示の点より考えれば、同列車の運行に関する機宜の処置、特に事故の拡大防止についての機宜の措置をとらなければならない任務があるものというべきであつて右二見助役は、一般準則の適用上、本件において被告人が作業をするに当り連絡を緊密にして打合せを正確にし、かつ、相互に協力すべきものとされる「関係者」に該当するものというべきである。

従つて、この点についての弁護人の主張も採用しえない。

以上の理由によつて主文のとおり判決する。

(裁判官 中原守 泉山禎治 若林諒)

(別表第一)(略)

(別表第二)(略)

第一図面〈省略〉

第二図面

東青山駅構内信号A.T.S配置図〈省略〉

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